叡山ケーブル・ロープウェイの歴史history

年表

彩り深い比叡山とともに歴史を刻んできたケーブルロープウェイ。
春は桜、秋は紅葉、季節が移ろう中、変わらずに八瀬と比叡山頂をつなぎ続けてきました。
静かに山を進み、人々を運び続ける叡山ケーブル・ロープウェイの歴史をお楽しみください。

叡山ケーブル・ロープウェイ年表

明治
明治21年4月京都電燈会社創立
明治33年6月京都電燈高野水力発電所が180kwで運転を開始
明治35年6月平安遷都紀念橖を平安神宮の北側に建立(碑文には明治34年と記す)
大正
大正11年11月鉄道免許状下付(愛宕郡八瀬村字青良谷-同郡同村四明嶽間)
大正14年9月京都電燈が叡山平坦線(出町柳 - 八瀬(現 八瀬比叡山口)間5.6㎞)を開業
大正14年12月京都電燈が叡山鋼索線(西塔橋(現 ケーブル八瀬) - 四明ヶ嶽(現 ケーブル比叡間1.3㎞)を開業
※同年に12月 八瀬に約3万坪の遊園地が開設され、一流料亭の支店や京都初の25mプール、ローラースケート場、動物園、水族館、植物園などがあった。
~昭和50年
昭和3年10月京都電燈が比叡山空中ケーブル(高祖谷 - 延暦寺間0.6km)を開業
昭和4年平安遷都千百年紀念塔を八瀬に移転
昭和10年6月高野川・鴨川の大洪水により八瀬に大きな被害
昭和12年7月京都電燈所有で都ホテルが叡山ホテルを開業
昭和14年八瀬公園にラジオ塔が設置される
昭和15年京都市に京都市北部区域電気事業および洛北・高野・清滝・栂尾の4発電所を譲渡
昭和16年12月太平洋戦争開戦
昭和17年3月京都電燈の陸上輸送事業を京福電気鉄道として分離発足
昭和18年叡山ホテル廃業
昭和19年1月太平洋戦争の影響により比叡山空中ケーブル営業休止、施設撤去
昭和19年2月叡山鋼索線営業休止
昭和21年叡山鋼索線運行再開
昭和30年叡山自然科学館を開館
昭和31年叡山架空索道(四明ヶ嶽 - 比叡山頂間0.5km)の営業を再開
当時の正式な呼称は「叡山空中鋼索線」とした。
昭和32年7月高山植物園を開園
昭和34年4月回転式展望閣、比叡山頂遊園開業
昭和39年7月八瀬グランドプール開業
昭和39年10月京福ランド施工式(新八瀬遊園開園、比叡山頂遊園新館完成)
昭和39年12月比叡山人工スキー場開業
昭和40年8月叡山本線の八瀬駅を八瀬遊園駅に改称、叡山鋼索線の西塔橋駅をケーブル八瀬遊園駅に、四明ヶ嶽駅をケーブル比叡駅に改称
叡山架空索道の四明駅をロープウェー比叡駅に改称
昭和41年4月高野水力発電所廃止
昭和46年11月八瀬グランドアイススケートリンク開業
昭和50年~平成元年
昭和54年11月比叡山アストロスキー場開場
昭和58年5月八瀬遊園閉鎖
昭和58年7月スポーツバレー京都開業
昭和59年スポーツバレー京都内の八瀬海水水族館を閉館
昭和61年 叡山平坦線を叡山電鉄に分離譲渡
昭和62年八瀬グランドアイススケートリンク閉業
~平成20年
平成11年3月スポーツバレー京都を「森のゆうえんち(スポーツバレー京都)」としてリニューアル
平成12年1月比叡山頂遊園を閉園(ガーデンミュージアム比叡建設のため)
平成13年4月京阪電鉄がガーデンミュージアム比叡 開園
平成13年11月森のゆうえんち(スポーツバレー京都)閉園
平成14年3月 ケーブル八瀬遊園駅をケーブル八瀬駅に改称
叡山電鉄 叡山本線の八瀬遊園駅を八瀬比叡山口駅に改称
平成14年3月 比叡山アストロスキー場・グラススキー場 閉場
平成14年9月 比叡山人工スキー場 閉園
平成20年~
平成21年12月叡山鋼索線1溝滑車ほか関連設備更新工事竣工
平成22年3月叡山架空索道設備更新工事竣工(自動化運転)
平成26年4月八瀬もみじの小径を公開
平成27年叡山電鉄叡山本線・京福電鉄叡山鋼索線(叡山ケーブル)の開業90周年を記念し、様々なイベントを行う
平成27年4月平安遷都紀年橖修復開眼法要実施
平成28年叡山鋼索線巻上装置を更新(自動運転化)